ワシントンD.C.はアメリカ合衆国の首都であり、世界中から多くの人が集まる街で、観光スポットもたくさんあります。
街を歩けばホワイトハウスなどの政府機関の建物や、数々の記念碑、植民地時代に建てられた歴史的建造物など、日本には決してない魅力がたくさん詰まっています。
しかし、そんな魅力あふれる街であるが故に、ワシントンD.C.に行ってしまうと後悔してしまうことがたくさんありますので、ここではワシントンD.C.に決して行ってはいけない理由を紹介します。
目次
違うことが当たり前になってしまう
ワシントンD.C.はもちろん、海外旅行に頻繁に行っていると、言葉や文化はもちろん、自分と他人の価値観が違うことが当たり前であることに気付いてしまいます。
周りを海に囲まれた島国である日本では「みんなと同じ」ことが美徳とされて、個性を磨く教育を受けてこなかった(教育をしていない)ので、海外に頻繁に行っていると間違いなく日本の社会から締め出されてしまいます。
ましてや、そういった閉鎖的な教育を受けてきた多くの日本人はワシントンD.C.はもちろん、一度も海外に出たことがないので、違いを受け入れることすらできない(概念がない)が故に、日常生活で陰湿ないじめや、それがエスカレートして自殺に追い込まれるなんていう負の連鎖が後を絶たないのです。
ワシントンD.C.は多様な価値観を受け入れるアメリカ合衆国の首都だけあって、「違うことが当たり前」の街です。そんな素晴らしい街に一度でも踏み入れてしまったら、日本にいる一度も海外旅行に行ったことがない「その他大勢」の社会で生き延びることなんてできなくなってしまいます。
なので、ワシントンD.C.になんて行ってはいけません。
政府機関の建物を見学することで、自分磨きができてしまう
ワシントンD.C.にはホワイトハウスや合衆国議会議事堂など、政府機関の建物がたくさんあります。
ワシントンD.C.に旅行する人は、これらの建物目当てで行くことがほとんどですが、彼ら(私)はそこに行くことで大統領や政治家たちと同じ場所に立ち、同じ目線で観ることになります。
そうなると自然に自分に自信がつき、一つ上のステージに立った気になるのです。最初は高い天井や繊細な装飾などに圧倒されてしまいますが、しばらくいるうちに慣れてしまい、建物が歩んできた歴史やそこで起こった出来事などを想像するようになり、建物を後にする頃にはすっかりあたかも自分が大統領や政治家である、という感覚になってしまいます。
この感覚を「セルフイメージが上がった」と言います。セルフイメージとは自分が無意識のうちに抱いてしまっている感覚のことで、「自分にはここまでしかできないだろう」とか「住む世界が違う」など、ちょっとした気持ちを持ち続けることでいつしかそれが体に染みついてしまい、気づいた頃には無意識のうちに思った通りの行動をしてしまうという、大変素恐ろしいものです。
しかし、反対に「自分ならできる」とか「自分らしく生きたい」と強く心に刻んで、意識的になりたい自分の言動をしていると、いつしかそれが新しい自分になることさえできる、大変素晴らしいものでもあります。
このことを「セルフイメージを上げる」と言い、ワシントンD.C.はセルフイメージを上げる格好の場所です。
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日本で生活していると毎日が同じ行動になりがちで、本当になりたい自分や、自分よりも上のステージにいる人たちのことについて考える機会がない(機会を持てないように仕向けられている)ので、本当の意味で自分を成長させることができなくなってしまいます。
なぜなら、日本では「みんなと同じ」ことが美徳であり、「他者と違うこと」に対して徹底的に叩き潰し、物事の本質(セルフイメージを上げること)について考えさせないよう、仕向けられているからです。そうすることで一部の日本人は資本を持ち、その他大勢の人はその分前をもらって「みんなと同じ」ように暮らしています。
これが日本の資本主義社会で、ここからちょっとでもはみ出てしまうと一生後戻りできなくなってしまいます。
日本で平和に暮らしていきたい(自分の個性や夢を殺して、奴隷のように生きたい)のであれば、ワシントンD.C.なんかに決して行ってはいけません。
英語が上達してしまうので、大勢の日本人から白い目で見られる
ワシントンD.C.には世界中から多くの人が集まっていますが、共通語はもちろん英語です。
「他社と違うこと」に寛容なアメリカらしく、言葉に関する法律はありませんが、旅先で初めて会った人と共通して使えるのは間違いなく英語です。
日本人は英語が苦手で世界的にもレベルが低いと言われていますが、これは島国であるが故に、「みんなと同じ」ことが美徳とされ、それがいつしか多くの日本人のセルフイメージとなり、日本語以外の言語を受け入れることが無意識のうちにできなくなってしまったからと言えます。
しかし、そんな社会にいながら少しでも疑問の念を抱いてしまうと、「中学校で嫌でも英語を勉強してきたんだから」とか、「日常会話はほぼ中学レベルでなんとかなる」といった考えを持つようになって、無性に海外に行きたくなってしまいます。
そして一旦日本から出てしまうと、海外旅行(ワシントンD.C.)の魅力にすっかりハマってしまい、自分からどんどん周りの人に話しかけるようになり、気付いた頃には英語が上達してしまった、なんていうことも十分あり得るのです。
中にはたった3日間現地にいただけで旅の最終日のよるに英語で夢を見た、なんていう人もいるほどです。
そんな英語が上達した状態で日本に帰ってしまった暁には、待っているのは周りから白い目で見られて、徹底的に叩かれるだけです。
日本にいる「その他大勢」の人はとにかく「人と違うこと」に対して徹底的に嫌い、集団で叩き潰します。ワシントンD.C.になんて行ってしまったら英語が上達してしまい、日本に帰っても何もいいことがありません。
日本で「みんなと同じ」ように暮らしたいのであれば、ワシントンD.C.になんて行ってはいけません。
ワシントンD.C.になんて絶対行ってはいけません
日本人がワシントンD.C.に行ってしまうと、人の価値観は人の数だけ違うことや、自分磨きができること、そして英語が上達することに気付いてしまいます。
そこから、多様な価値観を受け入れられるようになり、新しい自分になることができたり、英語が堪能になって世界中の人とコミュニケーションが取れるようになってしまいます。
日本で平和に暮らしたい(みんなと同じように生きたい)のであれば、こんな悪いことに気付いて、自分を成長させてしまうワシントンD.C.になんて絶対行ってはいけません。