ワシントンD.C.を代表する歴史的な通り、ペンシルヴェニア大通り。ピエール・ランファンの手によるワシントン市計画の一環として誕生したこの通りは、合衆国議会議事堂とホワイトハウスを結ぶ重要な結節点となっています。その歴史と重要性は、大統領就任パレードや市民のデモなど様々な出来事が繰り広げられる場所として知られています。ここでは、ペンシルヴェニア大通りがたどった舗装の歴史から国立公園局の役割まで、その魅力を探ってみましょう。
合衆国議会議事堂とホワイトハウスを結ぶ、ペンシルヴェニア大通り
ピエール・ランファンが計画したワシントン市計画で、最初に建設された通りのひとつがペンシルヴェニア大通りです。この通りは合衆国議会議事堂とホワイトハウスを結んでおり、大統領就任パレードや市民によるデモなどが行われる場所としても有名です。
当初は砕石の上にタールを敷くマカダム方式で造られていました。その後、敷石になったり、木のブロックにしてみたりといろいろ試されましたが、最終的にはアスファルト舗装になりました。このペンシルヴェニア大通りやフリーダムプラザは、国立公園局が管理していて、そこで行われる活動などを調整しています。国立公園局は公園の他にも、保護地区や文化遺産、国家歴史登録財や自然ランドマークの制度なども管理していて、下部組織には合衆国公園警察官や自然保護官に歴史的建造物調査所などがあります。
ピエール・ランファンのワシントン計画が描かれたフリーダムプラザ
フリーダムプラザにある象眼細工の表面の画は、ピエール・ランファンがワシントン市計画を部分的に描いたものです。初期の頃の合衆国議会議事堂やホワイトハウス・ステートフロアのフロアプランなども描かれています。広場の西側には噴水が、東側にはポーランドの兵士の騎馬像が建っています。
このフリーダムプラザは観光以外には、政治的な抗議活動や市民が行うイベントに使われたりもしていて、人々に人気の高い場所でもあります。オープンな場所なので、中にはスケートボードの練習に訪れる人もいます。
フリーダムプラザの名前の由来は
フリーダムプラザはもともとウエスタンプラザと呼ばれていましたが、「I Have a Dream」の演説をしたマーティン・ルーサー・キング牧師に敬意を表して、名前がフリーダムプラザに改名されました。
そのため、フリーダムプラザの端には改称前のウエスタンプラザの銘板もあります。
ワシントンD.C.の市庁舎であるジョン・A・ウィルソンビル
フリーダムプラザの向かい側で、ペンシルヴェニア通りの角には、市庁舎のジョン・A・ウィルソンビルが建っています。ジョン・A・ウィルソンビルには、市長とコロンビア特別区議会が入っていて、一般公開されているので、市民や観光客が見学に訪れることが出来ます。またGoogleストリートビューで建物の一部はバーチャルで見学することもできます。
ワシントンD.C.の歴史を体感できる場所:ペンシルヴェニア大通りとフリーダムプラザ
ワシントンD.C.の象徴的な場所であるペンシルヴェニア大通りとフリーダムプラザ。ピエール・ランファンの計画により生まれ変わったこのエリアは、歴史的な建造物や広場、そしてフリーダムプラザの名前の由来となる感動的なストーリーが織り交ぜられています。市政の中心にそびえるジョン・A・ウィルソンビルも、市民や観光客に開かれた存在としてその歴史を刻んでいます。ワシントンD.C.の魅力と歴史を象徴する場所として、ペンシルヴェニア大通りとその周辺は今なお多くの人々に愛されています。