ナショナルモールの一画にある第二次世界大戦記念碑は、2004年4月29日に公開された噴水広場の記念碑群で、約148フィート(約45メートル)のレインボープールとそれを囲むように建てられた高さ約17フィート(約5.1メートル)の円柱56本と一体のドームで構成されたオーバル型の広場で、円柱には合衆国に加盟する州の名前が刻まれています。
モニュメント建設の経緯
1987年、第二次世界大戦の退役軍人であるロジャー・ダービン氏が、オハイオ州選出の民主党下院議員マーシー・カプター氏に第二次世界大戦の記念碑建設を依頼したことに始まります。
賛否両論が噴出しつつも、2001年9月第二次世界大戦記念碑の建設が着工され、用地の基礎が掘られ、記念碑は竣工にあたって2年以上の歳月を要しました。
1997年に、オーストリア系アメリカ人の建築家であるフリードリッヒ・フロリアン氏の考案したデザインが選定され、デザインは第二次世界大戦記念碑を建設する前から既に設置されていたレインボー・プールとその噴水のデザインと合併させた物であるとされています。
広場は長さが約337フィート、10インチ(約103メートル)、広さが約240フィート(約73メートル)と、とても広々としています。
近くにはワシントン記念塔など、多くの記念碑が建ち並んでいるため、モール内の他の博物館やモニュメントと合わせて効率よく周ることができます。
対日本戦・対ドイツ戦からなる第二次世界大戦
第二次世界大戦記念碑は、2004年4月29日に一般公開されましたが、第43代大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュによる除幕式は戦没者記念日の2004年5月29日に行われました。
約2年の歳月をかけて竣工した美しい記念碑なのですが、論争や批判も多く「センスが悪い」などと酷評したアメリカ人ジャーナリストもいたようです。
56本の慰霊碑には、「第二次世界大戦」当時の48のアメリカ合衆国を構成する各州の名前とコロンビア特別区(ワシントンD.C.)、アラスカ地域一帯、ハワイ地域一帯、フィリピン王国、プエルトリコ、グアム、アメリカ領サモア、アメリカ領ヴァージン諸島の名前が刻まれており、慰霊碑手前にはヴィクトリー・パビリオンという大きなドームへと続いています。
2つのドームにはそれぞれ大西洋、太平洋と刻まれており、内部には4羽の鷲とともに平和の象徴である月桂冠の冠が安置されています。
自由の代償
第二次世界大戦記念碑の太平洋ドームから続く小路の先には、小さな池があるスペースがあります。
その向こうに建てられた壁には、1粒が100人の戦死者を表すという4048個の金色の星が埋め込まれているフリーダム・ウォールと称されるものがあります。
壁面には、真珠湾、バターン・コレヒドールなどの戦場の名とともに「自由の代償」の文字が刻まれています。第二次世界大戦では、民間人を除くとアメリカが払った犠牲者の数は40万人とも言われています。
ドイツは530万人、日本は290万人、最多のソ連は1500万人以上の犠牲者がでたと言われています。世界全体では、推定2300万人の軍人が戦争によって尊い命を失いました。
戦争を忘れないために訪れたい場所、第二次世界大戦記念碑
日本の平和のシンボルと言えば広島原爆ドームや長崎平和公園がありますが、同じ平和を願う記念碑でも戦勝国と敗戦国ではそれぞれ思うことに隔たりがあるのは当然と言えば当然のことでしょう。
しかし、それらのことを含め、自国の歴史見つめて、二度と戦争と起こさない為にこれからどうすべきかなど視野や考えが広がるとても貴重なスポットがここ第二次世界大戦記念碑なのです。ワシントンD.C.に訪れたのなら必ずしも足を運んでほしいスポットの1つです。